HOME › ようこそ金光教へ › 金光教あんない 私たちは、天地の恵みを受けて生きています。決して自分の力だけで生きているのではありません。それぞれの命があって、さまざまな人や物のお世話になって生きているのです。 例えば、赤ちゃんは自分でおむつを替えることはできません。家族や周囲の人に替えてもらったり、成長の過程で用をたす練習を繰り返して、ようやく一人で排便処理ができるようになっていきます。誰もが皆、回りの人のお世話になり、その中で心身の成長を頂き、日常生活での練習を通して、初めて「できる」ということにたどり着くわけです。 ところが、一人で「できる」ようになるとそれが当たり前になり、命そのものを授かっている事実や、天地の恵みに囲まれている事実、さらには、多くの人や物の支えがあって今の自分があるという事実を忘れがちになります。 金光教では、お世話になって「できる」ことや、さまざまな恩に報いる生き方を生活の中に現していくことを信心としています。 「心が豊かになる」とはどういうことでしょう?「人が助かる」とは一体どうなることでしょう?このページでは、神様のご紹介をしながら、信心して生きることの尊さに触れていただきたいと思います。 天地金乃神は、人間をはじめ、あらゆるものを生かし育む、大いなる天地のはたらきであり、私たち人間の親神(おやがみ)です。 金光教の教祖・金光大神(こんこうだいじん)は、神と人間との関係を実際の親子関係になぞらえて語っています。親は、子どもが言うことを聞かないからといって切り捨てることはなく、また、子どもが難儀をしていたら一日でも早い助かりを祈願します。神様のお心も、このように人間をかわいいと思う一心なのです。【金光大神の教えから】 天地金乃神は、神の思いに沿わない人間を切り捨てるようなことはされません。むしろ、人間が天地の間に生かされて生きていることを忘れて悩み、苦しむ姿を憂う神様です。天地金乃神は「人あっての神、神あっての人」と教祖に伝えられ、神が人と離れて存在するのではなく、「人間がおかげ(神の助け、恩恵)を受けてくれなければ、神も金光大神も嬉しくない。人間がおかげを受けないで苦しんでいるようでは、神の役目が立たない。人間が立ち行かなければ、神も金光大神も立ち行かない」とも仰っています。【金光大神の教えから】 金光教では、万物の営みすべてが天