月報あつた9月号を寝せます。
しかたがなかったと言ってはいけないのです
教会長
とても重い言葉を頂いてしまった。今年終戦記念日を前にして放送されたNHKのドラマからである。
そのドラマを簡単に紹介すると、終戦間近の東京に一機のB29が墜落して、十名ほどの米兵が捕虜となった。日本軍はその健康な米兵を生体解剖するようにと、ある大学病院に指示した。
命じられた責任者は、「軍の命令に逆らったらどうなるか分かるだろうな!」と、部下に手伝うよう命令した。
その部下がこのドラマの主人公で、その上司に「やってはならないことだ。私はやりたくない」と反抗したが、結局『しかたなく』手伝った。
戦後この主人公も戦犯として捕らえられた。ところがその上司が自殺してしまい、この主人公が主犯に祭り上げられ、死刑の宣告を受けてしまった。
彼は、「しかたなかったが、しかたがなかったという罪が私にはある」と、死刑を受け入れようとする。
結果的には妻たちの努力で減刑され、十年の懲役刑になったが、この「しかたがなかったと言ってはならない」との言葉が、この主人公の一生の問題となり、「しかたがなかったという罪」を背負って生きた。事実に基づいたドラマだ。
戦後七十六年、私は生きていなかったが、そのとき生きていた庶民は、ほとんどが「戦争だからしかたがない」として生きてきただろう。私もきっとそう考えて生きたと思う。とすると、戦争をしかたがないとした人はみな、罪があるということになってしまう。重い。
「日本が戦争に巻き込まれる危険があると答えた人が85.5パーセント」と内閣府の世論調査にあった。決してあってはならないが、もしそうなったとき、私たちはどういう姿勢を取るだろう。「しかたがない」としてしまわないだろうか。想像力を高め、もしそんな状況が迫っても、「しかたがない」としない私たちでありたい。
それぞれの身の回りに、「しかたがない」として済ませていることはないか。例えば身近なことでは、子どもが親の言うことを聞かないとか、信心を継いでくれないとか…、世界に目を向ければ飢餓や貧困、環境問題…など、「しかたがない」ことと済ませていないか。
しかたがないと済まさずに、何か私にできることはないか、改まるべきことはないかと、もし何もできなくても祈っていこうと、信心の稽古をしていきたい。
チャレンジ!2
鈴木 輝夫
先月号で、「私が今、欲しいものは井戸です」ということの願い、その動機を書いた。地域に災害用井戸を掘りたいと思って、今進めている。
ところで、「さあ、やろう!」と言って、できるものではないことは考えなくても分かる。教会の敷地内に井戸を掘るのなら、「やろう!」で、できると思うのだが地域の公園「どんぐり広場」の土地に掘るとなると、いろんなところに許可や交渉をしなければならない。
先月号でも書いたかもしれないが、なぜどんぐり広場に掘りたいのか?教会の土地ではだめなのか?ということについて説明しておく。
教会の土地に井戸を掘ってしまうと、災害時に快く井戸を使ってくれない人もいると思う。
私たちが「どうぞ!使ってください」と言っても、「宗教は怪しい」「勧誘とかされそう」など、いくらバザーとか街頭募金をやっていても地域に根差した教会になっているとは言えないのが現状だ。
そこで、思いついたのがどんぐり広場だ。どんぐり広場は、名古屋市へ所有者が提供、供与している土地で、その地域の子どもたちの活動ために名古屋市が管理している。
今は高蔵消防団のポンプ車の倉庫もあり、夏休みのラジオ体操などもされている場所だ。
そのどんぐり広場なので、災害時に井戸があれば、マーキテントなどを立て、そこを拠点に災害復興活動をできるのではないかと考えている。
さあ、どうしよう。と思ったときに、まずは地域の消防団の時に知り合った、名古屋市議会議員のMさんに話を聞いてみようと思い立った。
Mさんは教会のチャリティイベントにも顔を出してくれていて、LINEの連絡先も知っている。
Mさんの事務所は町内にあり、私は早速、Mさんに時間をとってもらって、話を聞いてもらうことができた。
Mさんと話し合っていく中で、どんぐり広場に井戸を掘るにはどうしたらよいか、いろいろと決めていくことが具体的に想像できてきた。
そもそもどんぐり広場に井戸を掘ってもよいか?どのくらいの地域規模で井戸のプロジェクトを進めるのか?井戸を掘る費用はいくらになるのか?お金はどうするのか?
どんぐり広場に井戸を掘ることについては、町内のみんなの同意があれば掘ってよいとのことで、第一の問題はクリア。
その他の問題として、町内のことになるので、町内会長さんに相談しに行った。僕はこの町内の予算決算をおよそ知っていて、十分に町内の費用で賄えると思い、賛成してくれると思っていた。
しかし、町内会長さんはあまり乗り気ではなかった。「お金があるからと言って使えるものではない。
井戸を作る他にやることはたくさんある。掲示板を新調したり、街路灯を新しくしたりしたい。金山神社の木の伐採などのために取っておく必要がある。ただ、回覧板を回してあげるから、町内の同意を得ることができたら考えます」とおっしゃってくだった。
ここからは、どれほどの予算があればできるのかなどを具体的に調べて、回覧板の案内文書を作ってみることからはじめる。その文書で町内のみんなに井戸を掘りたいという私の熱意が伝わり、皆に愛される井戸になれば嬉しい。
そしてないこしたことはないが、災害が起こった時には、その井戸が地域のために、そして被災して困っている人のために役立ち、その井戸を中心にみんなで助け合って、復興できたら私は幸せである。
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