巨星逝き二十年 教会長
墨染教会初代松岡道太郎先生が急逝されて、十月十六日で満二十年となる。先生は、昭和八年に伏見教会の手続き(出社)で墨染の地に新規布教に出られた。それから六十八年間、九十四才を越えて、最期までかくしゃくとしてお元気にお取次下さった。道太郎先生はご承知のとおり、妻みき子先生の祖父に当たる。
先生の布教当初は、類に漏れず大変なご苦労の中であった。親教会である伏見教会の先代教会長が、墨染教会の記念祭の祝辞に、「雪の降る寒い日に、道太郎先生の奥様が生まれてそう間もない赤ちゃんをおぶって、教会の裏口へ私の母にお別れのあいさつに来られた。私は当時十才ほどであったがそのそばにいて、子どもながらにその悲壮な姿を忘れない。布教するとは大変なことなのだなぁと強く印象に残っている」とお話しになった。
そして布教して間もなく、その赤ちゃん「勇子ちゃん」を一才四ヶ月で亡くしてしまわれた。道太郎先生は、「よいおかげを受けねば、よい手本にもならなければならない教会が、いきなりおかげを受けず、わが子を死なせてしまう自分の無力さに、一時は、これから先、人が助けられるだろうか?と悲しみと不安な気持ちがした」と記しておられる。そして、「いろいろと深いご神慮を考え直してみて、(三代)金光様から『勇子』と命名くだされたことは、これから長い布教にあたって、我々夫婦に対して、これからの長い人生に、勇気を持ってとりくめよ、わが子の死によって、これからの信者の悩み、苦しみを深くわがこととして思い悟れよ、との深い神様の思し召しであったのではないかと思いなおして…」と続く。
そして三代金光様でさえ「泣く泣く辛抱しいしい」お座りになられたのだ、だから私も座らせていただこうと、「九十二才になってなお、生きる指針として心に言い続けている」と結んでおられる。
亡くなられるわずか一ヶ月前に私にも届けられたレポート「今、教団に何が足りないか」では、その一つの柱として「『天地書附』がしっかりと頂けていないからではないか」とあった。以来私も「いかにして『天地書附』を頂くか」を求め、まず形からと、ご神前の「天地書附」をよく見えるように工夫した。そして教団会議員となったので、その本会議において「天地書附」について何度か質問を試みた。道太郎先生に代わってという思いからであったが、十分な食いつきもできず、道太郎先生もあちらで歯がみしていることだろう。つづいて求めてまいりたい。
笑顔で対話 鈴木 輝夫
熱田教会布教百三十年祭に向けての信行テーマは「笑顔 お礼」であり、千日前からカウントダウンを始め、百日ずつ区切って、信行課題を決めている。今は第三期目で「笑顔で対話 食べ物にお礼」に取り組ませていただいている。
「笑顔で対話」というテーマが決まって、私はあまり変わらないのだが、義雄先生は変わったかなと感じる。日頃ブスッとしている感じに見えていた(あまり言いすぎるとぶすっとしてしまうので、このくらいにします)のが、意識的に笑顔で対話を心がけているように感じる。とてもすごいことだと思う。私もしっかり取り組まねばと感じた。
わが鈴木家は中日ドラゴンズの大ファンである。野球中継があるときは、よっぽど負け試合でないかぎり、みんなで野球観戦をしている。一喜一憂して、野球の試合が終わっても、野球の話が尽きないときもある。平日、野球中継のときに家にいない弟(守春くん、道郎くん)が帰ってきて、「ただいま」の次に発する言葉はいつも野球の話、中日ドラゴンズの話になる。とてもおもしろい現象だ。
最近、神奈川県で勤めている二男の立道くんが、岐阜での工場研修をしている。近いので週末は教会に帰ってきて過ごしているのだが、その立道くんも、金曜日の夜、家に帰って来るなり、中日ドラゴンズのことを話し出す。これもまたおもしろい現象だ。「鈴木家はどんだけ中日ドラゴンズのことが好きなんだ」と感心?呆れ?ている。まぁ、私もその一人なんですが(笑)
中日ドラゴンズが強いときはいいのですが、弱いときは愚痴が増えるので、あまりいい雰囲気にはならない。だから私は家族のためにも、「中日ドラゴンズよ、勝ってくれ」と毎回祈るばかりだ。しかし、最近の中日ドラゴンズは調子が悪い。
こういうように家族の共通する話題があると、それをきっかけに話が広がり会話が増える。きっかけは大切で、そこからコミュニケーションをとることが始まり、いろいろなことが話しやすくなる。会話から対話に変わっても、話しやすい関係性が作られているので、スムーズな対話ができていくと私は思う。
対話は人と人だけではなく、神様との対話が大切だ。神様との対話はすぐにできることではなく、日頃から神様に話しかけてコミュニケーションをとり、何でも話せるよい関係になっておく稽古が大切だと思う。教会のお結界という場所が神様に話しかけるきっかけの場となり、対話につながっていく。お結界に座っている先生が神様との間を取り持って、一緒に対話をしてくださる。そうすることによって、神様をもっと身近に感じることができるようになると私は思う。
自分から神様や人に笑顔でどんどん対話をすることによって、相手も笑顔で対話をしてくれるようになる。そういう関係になれば幸せにつながっていくと私は思う。実践あるのみです。一緒に取り組んでいきましょう。
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