どんな御霊になりたいか 教会長
コロナウイルス様がお出ましになって、間もなく二年になる。今回のご大祭もその影響を受けてのお仕えとなる。この先、コロナ様が落ち着かれてから、ご大祭の形がどのようになるのか、とても気がかりだが、元通りというようにはいかないような感じがする。改めてご大祭の意義、あるべき形を問い直すことになるだろう。その基本となるのは、言うまでもなく神様へのお礼であり、人間の都合が先に立つことのないよう、楽な方へ流されないようにと願うばかりである。
さて私たちはみな、いずれ死ぬ。死ぬとおそらくは御霊となる。とすると、晴れて御霊となったとき、私たちはどんな御霊になりたいか、考えておくことも面白い。いや大切なことだ。ほとんどの人は、まず考えたことはないのではないか。「こんなふうに死ねたらいい」くらいまでは漠然と考えたことがあるかと思うが、死んでから先のことまでは、あまり思いが及ばないのではないか。だから一度考えてみよう。
私は、死んで御霊となったからには、せめて遺してきた子どもや孫(まだいない)をはじめ、相知る人たちに寄り添うようにして(嫌がられるかも知れないが)見守り、あぶなっかしいときには神様にお取りなしを願ってあげようと思う。できれば愛しい人たち本人に知らせてやり、その危険を取り除けてあげるくらいのことができればいいなぁと思う。
教祖様は、「形がなくなったら、来てくれという所へ行ってやる」とおっしゃってくださった。つまり永世生き通しの神様として存在し、さらに「生神金光大神取次」という助かりの筋道をつけてくださった。そのおかげで今、私たちは神様とつながっていられる。
とすると教祖様は、忍者のように分身の術が使え、ドラえもんのように瞬間移動を自由にできるということだ。またご生前中も不思議な能力をお持ちであったので、御霊となられてからは、その能力に一段と磨きがかかったに違いない。
私たちも御霊となった暁には、教祖様には遠く及ばないにしろ、分身の術や瞬間移動の術、そして予知能力のようなものを頂けるかも知れない。そう思って、私は今からお願いしていこうと考えた。
しかしそこで気づかされた。そうした能力を獲得できるか否かは、生きているうちにどれだけご神徳を積むことができたかによる、ということだ。教祖様のような働きに近づこうとするなら、今のこの世に在るうちに、しっかり神徳を積んでおかないとだめだと気がついた。つまり御霊として生き生きとはたらくためには、今この世にある私の生き方、行動が問題だと。当たり前のことだ。
しばらくしてまた気づかされた。それは、御霊としてはたらく力を見事に頂いたとして、ある危険を察知して教えようとしたとき、それが遺してきた人たちに伝わらなければ何にもならないではないか。つまり御霊からのはたらきかけを受け止めてくれる受け物がなくては、何ともならないということだ。つまり、遺してきた大切な人たちが、神様、御霊様に手を合わせる、心を向ける姿勢、生き方になっていなかったら、いくら私が素晴らしい御霊となって、その危険を察知して教えようとしても伝わらない。「こりゃだめだ」ということになってしまう。
となると、御霊のはたらきを受け止めてもらうためには、私たちが御霊となる前に、この世に生きているうちに、遺していく大切な人たちに受け物を授けておかなくてはならない。そういう役目を果たしてから御霊にならないとだめだ。つまりいよいよ今の世の私の在り方が問題となってしまうのだ。
少なくとも神様、御霊様に常日頃から手を合わせる生活になっていること。それもでき得れば、この道の信心を遺しておき、この道の筋で御霊となった私たちとあいよかけよのしっかりとしたつながりができていることが望まれるのだ。
「『こんな御霊になれたらいいなぁとイメージして、しっかりとはたらけますように』と願っておけばいい」くらいに思っていたら大間違いだった。
食べ物にお礼 在籍教師 鈴木 輝夫
皆さんの好きな食べ物は何ですか?ラーメン?餃子?お寿司?お肉?私は、ここに挙げたものすべて大好きです。
日本で生活をしていると、食べたいなって思ったら、お金を払えば好きなものが食べられる時代になりました。おいしい飲食店、スーパー、コンビニなどに食べ物が充実しています。しかし同時に、格差による貧困、食品ロスなど、国内外で食べ物について問題になっているのも事実です。
最近、皆さんも『SDGs(Sustainable Development Goals)=持続可能な開発目標』という言葉を聞いたことがあると思います。これは2015年の国連総会で、2016年から向こう15年間の新たな行動計画の取り組みとして採択されました。17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な国際的な開発目標です。私自身この言葉を知ったのは昨年のことですが、2016年からあったとは驚きでした。
このSDGsの17の世界的目標に、まず「①貧困をなくそう」「②飢餓をゼロに」という項目があるくらいですから、飢餓・貧困は世界的な問題なのです。
十月二十四日に布教所で、フォーゲル隊の芋掘り集会を行いました。この畑で芋掘りをやるのは今回で二回目でした。昨年は収穫するだけでしたが、今年は春に、畑を耕して苗を植えるところから隊員と一緒にやりました。そのおかげか昨年よりも太く、大きなサツマイモがたくさん収穫できて、みんな喜んでいました。天地の恵みを肌で感じる体験ができてよかったと感じました。
ただ、子どもたちに、「天地のおはたらきがあって作物ができ、それを頂いて今の自分がある」ということをどれだけ伝えられたか、難しくもどかしく感じました。ただ、「芋掘りをして収穫できてよかった」だけで終わってしまってはいないだろうか、子どもたちに神様の思いが伝わっただろうかと疑問に思います。伝えるのは難しいことですが、この思いが伝わってほしいと願うばかりです。
熱田教会の布教百三十年祭に向けて、三期目の「信行課題」に「食べ物にお礼」とうたわれて取り組んできています。食前訓「食物はみな、人のいのちのために、天地の神の作り与え給うものぞ。何を飲むにも食べるにも、ありがたくいただく心を忘れなよ」とあるように、私から食前訓を改めて頂き直し実践していくことで、子どもたちにも伝わっていくのではないかと思います。
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