人と人とのつながり 教会長
今年の年頭、コロナウイルス感染下にあって、「(今年は)何が本当に大切なのかを見極めて、それを改めて大切に守り、取り戻していく年」と書いたが、その「取り戻していく」というもくろみは大きく外れた。来年に持ち越しというところだ。
取り戻すべき大切なものの一つは、人と人とのつながりだと思う。人は「人間」だから、人と人との間のつながりがなくなっては「人間」とは言えない。コロナになる前からも、人と人との疎遠、つながりの希薄化は心配されていた。ある学者のアンケートに、「最近は、受け入れることが難しくなっている。『あなたはこれまで、人から優しくしてもらったことや、好きな人から好きだと言われたことを、素直にうれしいと思わなかったことがありますか』という問いに対して、約四割の人が『そう思ったことがある』と回答した。ある若い男性は、『自分は人からそんなことをしてもらうに値しない』と、自己肯定感が低い印象だ。女性の場合は、『人に何かをやってもらうとお返しをしないといけない』『返せない気がするから受け取りたくない』という感じだ」とあった。
このアンケートの結果を受けて、そのレポートでは「行き過ぎた資本主義の所以」「行き過ぎた取り引き感覚があるのでは」と押さえていたが、私は人と人との関係の希薄化が進んできている結果と感じた。
教会へ持ち込まれたお願いで、「今度入院することになりました。でも誰にも言わないでください」と言われたことがある。もちろん教会のお取次の内容は守秘義務があるので言わないのだが、その「誰にも言わないで」が、かなり近い身内にも内緒でと聞いて驚いた。ひょっとすると娘や息子にも内緒だったかも知れない。それは「要らぬ心配はかけたくない」ということもあろうが、「見舞いに来られると後が面倒」ということがありそうで、とても寂しい感じがした。
こうした気持ちも分からなくはないが、これでいいのかと思う。そしてコロナ後、こんな感覚がさらに強くなるのではないかと心配になる。こんな感覚には何とか歯止めをして、温かい人と人との関係を深めていきたいものだ。
百年前のスペイン風邪の後は、こんな心配は必要なかっただろう。人と人との間柄は自然に元に戻り、かえって人と人との助け合いの精神が強くなったのではなかろうか。百年後を生きる私たち、百年前の状況とはもちろん違うのだが、神様から試されているように思えてならな
ドラマから学ぶ 鈴木 輝夫
私はドラマが好きで、以前にもドラマに関わって書いたことがある。今回も今観ているドラマの一つから思うことを書いてみる。
それは「恋です」というドラマで、目が見えない彼女とヤンキーの彼が出会って恋をするという物語である。主人公は朝ドラで主演を務めた杉咲花さんがやっている。彼女は弱視で盲学校に通っている高校三年生で、以前は目が見えていたのだが、目が見えなくなってからは自信をなくしていた。
そんな時に彼に出会って、彼女は彼の影響を受けていろんなことに挑戦をしていく。ハンバーガー屋さんでバイトをしているが、人の何倍も努力して、バイトをこなしていく。あきらめかけていた夢にも挑戦しようとしている。彼もまた、彼女に出会ったことで変わっていって、二人は共に助け合っているというところまで今きている。これからどういう展開になっていくか楽しみでならない。
目の不自由な人に焦点を当てたこのドラマは、私にとってとても勉強になって、いろんなことに気づかせてくれている。例えば、何気なく乗っている電車やバス。通勤、通学でお世話になっている人も多いと思うが、目の不自由な人にとって、それはとても危険な旅であり、毎回状況も同じではない。その危険なことを、分からないなりに想像するようになった。何気ない一つひとつが、目が見えないと怖いことなのだ。
目が見えることが当たり前で過ごしている私だが、このようなことを考えるきっかけを与えてくれたことに感謝する。そこで、実際に僕もちょっと目が見えない人の気持ちになりたいと思って、目をつむって歩いてみた。するととても怖くて前に進めない。よく知っている場所でも少し歩くとぶつかった。目の見えない人は毎日こんな体験をしているのだと、目の見えない人たちへの敬意と、目の見えることのありがたさを改めて実感した。
このような視点を持って生活をしていると、街で歩いている時に、目の不自由な人のことが目につくようになった。今までは「少しサポートしてあげよう」とか、「見守ろう」としか思わなかったのが、「無事に目的地までたどり着けますように」とか、「この人がこれからも暮らしていけますように」と祈ることができるようになった。
ここでは目の見えない人に焦点を当ててみたが、世の中にはいろんな不自由を抱えた人が暮らしている。その人たちのことを祈れる、すれ違った人のことを祈れる私になっていけたらいいと思っている。
ほんとに身近な人のことしか祈れない私であるが、これからもいろいろなきっかけを頂いて、いろんな人のことを想い、祈ることができる私になっていけるようにと思っている。
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